私がブログを毎日のように書くようになったのは平成16年のことだった。
もう7年もこんなことしてる。
老健で働き始めたその日から「毎日日記」が始まった。
老健という職場はリハビリ職がいて「在宅復帰」の希望もあり、設備が整い、勉強するのが当たり前の場所だった。
利用者もしっかりした方から重度の認知症の方まで多岐にわたり、ケアの本質を模索する毎日が待っていた。
私のようなひよっこの介護福祉士が「レクリエーション援助」を通じて成長するのに今思えば最高の職場であった。
「元気になりたい」「ボケたくない」それがたとえ叶わない夢であったとしても、科学的根拠なんか存在しないと陰口叩かれたとしても、
学ばなければ、介護職員が学ばなければ、利用者を不幸にしてしまう、とにかく知識を技術を情報を習得したいとそればかり思う日々だった。
非常勤の介護福祉士。
それが私の肩書きだった。
介護の現場は縦割りであり、ピラミッドの階層が存在し、いつまで経っても非常勤は「蚊帳の外」だった。
結果的に5年も勤めた老健だった。
それでも入職して半年も経つと、自分を指導していた先輩がみんな辞めていった。
1年で「私が一番の古株」となり、2年経つと「他のフロアの主任」が降りてきた。
大事に育てられた上司はすぐ退職して、新人研修すら受けさせてもらえなかった自分がずっと残っている(笑)
上司が新人を育てるのに手が取られ、中堅のあたし達が2倍働かなくてはならなかった。
「早く育っておくれよ」と念じたものの半年も経たないで新人はやめて「何の為にあたし達苦労したの?」と思った。それは上司も同じ。そしてその上司も人間関係が原因で辞めていってしまった。
まあ、どこで働いても同じだっただろう。
非常勤なんてそんなものだ。
ブログを毎日書いていると、面白いことに、自分と同じ立場の人が集まってきた。
育児中、非常勤、勉強熱心、報われない、
そうやって呟く人がブログに集まってきた。
「いじめに遭っている」「ひどい職場だ」泣きながら書いたと思われるメールがどんどん舞い込んできた。
いつの間にか私のブログは「個人の日記」→発信型ではなく、受け取る役割も担うようになってきた。
それが形になったのが、去年の「笑福会」の誕生だ。
笑福会のメンバーは明るく発信する人が多いが、最初はマイナスのオーラを発しているコメントがとても多かった。
介護の現場と言うものは面白いものだ。
給料が安いだけじゃない。
どこかで誰かが泣いて
どこかで誰かが踏ん張って
それすら評価してもらえない
実際、それは、
上も下も同じ。
叩きあって相討ちになって
うやむやに、まさに安っぽいゴシップのよう
辞めた人のせいにして
残った者が偏った価値観のもと、作り上げられた虚構の正義が堂々とまかり通っている。
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