私は遊びリテーションについてはよく知らないが、土居先生の遊びリテーション講座には何度か参加させて頂いた。
彼は長く老人病院で勤務してきた言語聴覚士(社会福祉士も持っている)で、NHKのなるほどなっとく介護の番組で三好先生のモデルをやっている。
フーテンの寅さんの格好をしてアコーディオンで登場する研修を受けた方もいらっしゃるんじゃないかな。
彼はご自分が病院で何年も見てきた「縛られている患者」の写真を研修で見せる人だ。
最初、見せて頂いた時はショックだった。
老健が自由だと思った。老健が天国だと思った。
何よりも説得力がある。現場で働く者としては「こういう患者、利用者をもう二度と作ってはならない」と写真を見て強く思わされる。
レクのような「光の部分」と対極した「影」を「現実」を見せつけるところに、彼の話の魅力を説得力を感じるのだ。
私もレク援助についての発表をする時は必ず「選択肢」や「ここに呼ばれる理由」「役割作り」「全員参加」「人権擁護」という言葉を出すが、
彼も「個人を見て集団を見る」「集団を見て個人を見る」という姿勢を変えない人でなので研修は共感することばかりだ。
例えば、このサイトで紹介されている「テーブル卓球」や「巨大風船バレー」のようなゲームも、利用者さんは本当に熱中される。
「心が動けば体も動く」
まさに、知らないうちに手が伸びていた、知らないうちに足が出ていた。
無理強いのゲームとは違って主体性を引き出すゲーム、さらに「またやりたい」と利用者さんに思ってもらえるゲームだということだ(ということは利用者さんへのアンケートって大事だということです)
遊びリテーションの話から少し外れるが、私はここ数年「幼稚な」レクをしなくなってきた。
おそらく「必要に迫られて」そうなったのだと思う。
出勤する度にレク援助をして感じ取った利用者の反応を見ているうちに自分のレク援助の形がどんどん変わってきた。
新聞やニュースの話題、昔行った旅行先、人生歴、戦争の話、歴史の話し、育児の話、
利用者さんが得意げになって話す話題を見つけて、回りを巻き込む、というレクが中心になってきた。
ゲームをやっている途中にそういう「私を表現するエピソードコーナー」を取り入れれば、そのゲーム自体がガラリと変わって行くのを感じるようになってきたのである。
幼稚ってなんだろう?
例えば、
子ども達が大好きなジャンケン。
私たちも「幼稚」なんて考えず自然にじゃーんけんぽん!とやっている。
研修のグループワークで司会が決まらなかったり、先攻後攻を決めるのに「ジャンケンは幼稚だからやめよう」という人はまずいない。
それには先に「目的」があるからだ。
勝った人がなにをする、負けた人がなにをする、という目的があるってわけだ。
ジャンケンに限らず私は
例えば
「この童謡、こどものころよく歌いましたよね。でもこうやって一緒に手の動きを入れるとちょっと難しい頭の体操になります。
これが脳の活性化に役立つんです。
ほら、皆さん、ボケ防止ですよー。頑張りましょう!」
などと必ず「動機付け」してからレク援助(レクゲーム)に入るようにしている。
そういうお話をしてから
「やーまだーのなーかの一本足の かーかーしー」などと歌い始めることにしている。
昼食の前に歌う時は
「ご飯を食べる時にむせるといけませんから、少しお口の体操をしましょう。歌を歌うってとてもいいんですよ。」と
やっぱり動機付けをする。
人は何か無理やり人に強いられることを好まない。
しかも集団でみんな一緒になんて。
男性は特に嫌がるし、まず自分よりずっと年下の若輩者に「何かを指示され動かなくてはならない」ということ自体受け入れがたい屈辱と感じる人も少なくない。
もちろん集団だからこそ楽しく盛り上がる側面もあるが、問題はそこへの持って行き方だと思う。
突然「ちーちーぱっぱ歌いましょう。ちーちーで手を広げてぱっぱで手を打って」などと言われたら
「こいつ、馬鹿にしてやがる」と思われても仕方がない。
自分や自分の両親がそこにいてそれをやらされている場面を想像してみたらわかることだ。
私はむしろ認知症の方だからこそ新聞の一面記事に触れたり、昔のクイズ(昔のことはよく覚えている)を出したり、そういう「自尊心や知識欲をくすぐる」ゲームを持ってくるようになってきた。
「幼稚かどうか」は
それをやっている本人の主観なので、
本人が決めることだ。
風船バレーだって心が動けば立派なリハビリ、遊びリテーションの効果は時に医者やリハビリ職の治療を超える領域にもなり得るだろう。
終わった後
「へへ、いい年して何だかムキになっちまったぜ」と笑う利用者さんがいたらそれで成功なのだと思う。
重い認知症があっても「自分も参加していた」という満足感、達成感があれば、みんなと一緒の場を時間を共有し、笑顔に包まれていたのなら、
それは何物にも代えがたい、楽しい時間(レクリエーション)を経験したことになるのだと思う。
レクワーカーは参加者の「出来る出来ない」「わかるわからない」をアセスメントして恥をかかさぬようそれでも全員に参加の役割を作って、疎外感を感じさせぬようレク援助を構成する度量が試されると言うわけだ。
以前、きらけあに入所施設レクリエーションという記事を書いた。
入所施設においてレクリエーションゲームを展開するには制限が多いという内容だ。
お時間のある方は読んでみて下さい。
利用者さんから笑顔を引き出すために、
もっともっと勉強をしていきたいと思う。
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